キティさんの闘病記

交通事故(追突) 頚椎椎間板ヘルニア
2006年1月17日手術(前方固定術)

■2004年12月14日 追突事故

<12月14日>
事の始まりは追突事故・・赤信号に停車中後ろからドッカーンと凄い音。
近くの総合病院に行きXP(レントゲン頭部CTを撮りその日の診断は頚椎捻挫で骨・頭部には異常なし。「明日以降は痛み、吐き気などの症状が酷くなるかも」と言われ帰宅。
その日は吐き気もあり病院で処方された薬・・ロキソニン、ミオナール、プリンペラン、ガスター、セルタッチを貰いました。

<12月15日>
昨日からの吐き気が治まらず食事も出来ない状態でずっと嘔吐の繰り返し・・
痛みはあるが吐き気の方が酷く昨日受診した病院に点滴を受けに行く(吐き気止めの)でも、一向に症状は改善されず。

<12月16日〜12月23日>
ほぼ毎日点滴を受けに通院していたが痛みも出て”本当に頚椎捻挫なのでしょうか?”と医師に話すが「ただのムチウチですから後1ヶ月もすれば症状は改善されるでしょう」と言われ詳しい検査などしないで今の内服とシップと続けて様子を見ましょうと言われました。
でも、事故後から殆んど食事も取れなく飲み物さえも嘔吐の繰り返しで自分でも衰弱していくと思っていました。

■入院

<12月24日>
今日はクリスマス・イブ・・楽しいはずの日なのに相変わらず嘔吐の繰り返しで点滴を受けに病院に行くと「このまま自宅に居ても通院するのも大変でしょうし入院して様子を観察したいのですが」と主治医に言われ入院することになりました。入院後は点滴を受けて安静にしていました。
でも、詳しい検査はなく(MRIなど)本当に様子を観察しているだけでした。

<12月25日>
折角のクリスマスに病院なんて・・と思いながらも症状は改善されず再度主治医に相談する(外来で診てもらっていた先生とは違うけど)
でも、返事は一緒。「頚椎捻挫の治療法はシップを張って安静にしている以外はありません」と説明。
痛みも頚椎から肩甲骨、左上腕にかけてズキズキとした痛みがあり安静にしていても吐き気も治まらず気分が滅入ってこの先後どれ位こんな症状に耐えなければいけないのかと考えながらの入院生活でした。

<12月31日>
当初に比べると若干は吐き気も治まった感じがした為外泊許可をもらい自宅に戻れた。病院で一人考えているよりも家族でワイワイと過ごせれば少しは気分転換にもなるのではと思って1週間ぶりの我が家・・
家族みんなは何とか私に食欲が出て食べ物が摂取出来る様にとご馳走を用意していてくれました。
でも、少し食べては嘔吐・・その頃には喉が切れて嘔吐すれば少量の出血もする様になって来たけどムチウチだから時間が経てば症状も改善され年明けにはまた、元気になれるはずと考えていました・・・

<2005年1月3日>
再び入院生活に戻りました。
取り敢えず外泊中は特別症状に変化は無く嘔吐、痛みは変わりが無い事を伝えました。

<1月4日>
朝から左手が痺れている様な感じが・・これもムチウチの一種なのかと主治医の先生が来られたので少し痺れが出ている様なんですがと説明しても「大丈夫ですよ」って言い、事故の当日に撮ったXP,CTを見ながら「骨にも異常が無いしこのまま入院されていても治療法はないのでそろそろ退院も考えて下さい」と言われました。
でも、吐き気に、痛みもまして痺れも出て来ているのにもっと詳しい検査などはしなくてもいいのかと聞くが「その必要は無いでしょう」の一点張りでこのままここに入院していても仕方が無い様な気が・・・
それに以前から相手の保険会社から自宅近くの病院に転院されればいいのでは言われていたし私自身が主治医に不信感もあり(入院中の病院は自宅からは遠かった為)退院することを決めました。

<1月5日>
退院日・・主治医に紹介状を書いて貰いたい事を伝えましたが退院後に1度外来に受診して下さいと言われ1月14日に予約を取り退院しました。

■退院後

<1月7日>
朝からずっと嘔吐・・たまらず病院へ行き点滴を受けました。
その日は入院中の主治医の先生がおられなかったが念のために紹介状の話しをしたが来週に受診された時に主治医に話しをして下さいと言われ点滴のみで帰宅・・その日は夕食が少し食べれたので明日になったらもう少しましになるかな?と考えながらもムチウチでは無く何か他の病気ではとも思いましたがその頃はヘルニアとは考えなく医者の言う通り日にちが経てばきっと良くなると思っていました。

<1月14日>
今日は予約していた診察日
主治医に今の症状を伝える・・吐き気は少しずつましになっているみたいですが痛み、痺れが日によって酷くなっている気がしますと話しをしましたが、「後は紹介状を書きますからそちらの病院で治療を受けて下さい」と言われました。
転院すると決まればこんなにもそっけなくなるのかと益々不信感を抱きながらも医師が判断しているのだから私がいくら言っても仕方がないと思いもう、此処には来院する事は無いだろうと病院を後にしました。

■転院

<1月17日>
朝から紹介状を持参して自宅の近くの病院に受診・・初診と言う事もありXPを撮らせて頂きますと言われ撮影後に診察を受けました。
事故からの経過と現在の症状(まだ少し吐き気もありました)左上腕痛み、肩甲骨痛み、後は痺れも感じるようになった事を伝えました。
医師は念のために頚椎のMRIを撮りますと言われ1月19日に予約を取りました。
それと、リハビリにも行って下さいと言われ詳しくはMRIの結果を見てから今後の治療方針を考えますと言われました。
内服はミオナールからテルネリンに変更また痛み止めもロキソニンからボルタレンに変更され後はガスターにシップ薬を処方されリハビリに行きました。リハビリはまず牽引をしました。「牽引中はまれに痛みなどが酷くなる患者さんがおられるのでその時にはすぐに言ってください」と言われ開始しました。首をグッと引っ張られ始めると途端に吐き気、痛みがましてきたので牽引は中止になりマイクロで頚椎と肩甲骨の辺りを温めてその日のリハビリは終了して次回診察される時主治医に牽引は中止した事を伝えて下さいと説明を受け帰宅しました。その日は何か安心したのか夕食は嘔吐せず痛みもボルタレンが効いたので久し振りに熟睡出来た気がしました。

<1月19日>
今日はMRI検査・・午後からの検査の為ゆっくりと準備をして病院に行きました。痛み止めが切れてくると痛みが増すみたいな気がしました。事故後から上向きで寝れなく常に右側を下にして寝ていたので検査中の上向きの体制は結構辛かったです(泣)それにヘッドホンを付けていたのですがあんなに煩いんだとは思わなかったので検査終了後は暫く音が耳から離れませんでした・・それに痛みも酷く帰宅後は寝込んでしました。

<1月21日>
今日はMRIの結果説明の為病院へ・・きっと、異常はありませんでしたって言われるんだと思い、順番を待っていました。2時間ほど待ってやっと診察・・長時間座って待っていた為か結構痛み痺れが酷く感じ先生に話さないといけないと思い診察室に入りました。
先生の前にはMRIのフィルムがあり「頚椎椎間板ヘルニアがありますよ」って言われました。以前にヘルニアと言われた事はありませんか?と聞かれたのでありませんときっぱりと答えました。「1度の事故ではヘルニアになる事は無いと思うので無症状のヘルニアがあって追突の衝撃で神経が圧迫されて吐き気などの症状が続いていたのでしょうね」と言われ事故後にMRIの検査はしなかったんでしょう?と先生に聞かれたので事故の日にレントゲン、頭部CTを撮って以外は詳しい検査はしませんでしたと話し、入院中にもずっと症状は訴えていたのですが、ムチウチなら暫くは症状が続きますからと言われていたので日が経てば治まると思っていました。と説明しました。
主治医は「こちらでも3〜6ヶ月程は様子を見ます。ヘルニアと言っても保存的療法で今の症状が軽減されたりヘルニア自体がひっこんだりされる患者さんもおられるので吐き気などが酷かったり痛みが強ければ点滴を受け後は安静にしていて内服、リハビリで様子を見ましょう」と診断されました。自宅に帰り夜主人に”頚椎椎間板ヘルニア”で神経を圧迫しているのが原因で症状が治まらなかったと説明しました。
その日から新たな”ヘルニア”という病と闘う日々が始まりました・・・

<1月24日>
今日は相手保険会社に”頚椎捻挫”ではなく”頚椎椎間板ヘルニア”と診断されたと伝える。
吐き気は治まってきてるが、痛み、痺れが酷くなりだしたので主治医に相談すると、「今ままでは症状的に嘔吐が1番酷く感じられていたがその嘔吐の症状が軽減された事によって痛み痺れを強く感じる様になっているのでは?でも基本的にはヘルニアを治療する薬が無いので症状が少しでも軽減される様に安静を保って下さい」との事でした・・
それにきっと私は寝相がとても悪いのでしょうね(泣)朝起きるといつもより症状が酷く感じられ偏頭痛にも悩まされる様になりました。

<2月7日>
朝起きると今まで感じなかった足の痺れが・・・初めは左足が感覚が無くなってきている感じで歩いていても左足がちゃんと地面に触れているのか分かりませんでした。このまま歩けなくなったらどうしよう・・・とか不安はどんどんふくれて行き以前からセカンドオピニオンは受けたいと考えていたので大学病院宛てに紹介状を書いてもらい2日後に運良く予約が取れたので受診する事にしました。

■ セカンドオピニオンで大学病院に

<2月9日>
今日は事故後初の遠出・・約1時間掛けて大学病院に診察に行きました。
やはり患者数は多く4時間ほど待ってやっと診察。MRI、レントゲンのフィルム持参で行ったのでそれを見ながら説明を聞きました・・「今の段階では即手術と言う状態ではなく半年ほど経過を見てその時点で症状の改善、または酷くなっていたら”前方固定術”という手術の方法がありますよ」と言われ注意事項としてとにかく「転んだりはしないで下さいね」と言われました。
でも、私は結構おっちょこよいでよく何も無い所なのに躓いたりしたりここ6年間の間に転んで両足首(くるぶしの所)を2回骨折している経験があるので少し不安です。眩暈も時々ですがフラッとよろけてしまうから今以上に注意をしなけばいけないと思いました。でも、おおまかには自宅近くの病院(S病院)とほぼ同じ診断でした。「事故以前には症状が全く無かったので追突の衝撃でヘルニアの症状が出現したと思われるので「事故との因果関係はある」と診断されました。

<2月半ば>
事故後に診察を受けた病院(T病院) 転院後(S病院) 大学病院(K病院)
まず、S病院K病院での診断結果がT病院と違うと言う事でそれぞれに医療照会をしたいと言われ医療照会同意書が保険会社より送付されました。
私の治療状況、カルテ、診療報酬明細、レントゲンフィルムなど保険会社が閲覧してもいいように本人の同意があるという書面・・・
その医療照会で今後の治療費などの支払いを受けれるかを決める為だそうです。早くとも2ヶ月程はかかるかもと言われていました。
でも実際は約4ヶ月掛かり6月半ばに保険会社から回答が来ました。
内容は・・・T病院では事故との因果関係は分からない・・
S,K病院は事故以前には症状が無かった為追突により症状が出現したと考えるのが妥当で、因果関係はある
と医療照会の結果が送付されたがどの病院も今すぐに手術をしなけば命の危険性があるとかの症状では無い為、手術の必要は無いと結論が出て、なおかつ事故後半年が経過しているため治療費等の支払いも今月で打ち切ります。
今月中には医師の症状固定診断書及び後遺症が考えられる場合には後日申請をして下さいと保険会社より書面で送付されて来ました。
私は何のこっちゃって感じで怒りがこみ上げて来ました。2月半ばから保険会社と話しを続けてきて保険会社の対応が遅く待たされるだけ待たされて挙句には事故から半年が経過したから治療費の支払いは打ち切りますって言われてもそのまま納得がいかなく、S病院の主治医に相談・・事故との因果関係はあると主張していただいていたので「保険会社とは話し合いを続けるべきですよ・・また症状固定の診断書といわれても全く痛み、痺れが軽減されず手術の必要性も考えています」と返事を頂き保険会社に意見書として提出しました。

■ 2005年7月

<7月1日>
今日からは健康保険を使っての通院になった為一体1ヶ月でどれ位の医療費が掛かるのか心配ですが、痛みなどは軽減されず殆んど毎日点滴に通院する様になりました。リハビリは中止になりました。(半年続けたが効果は無いようでしたから)
「他の治療法としてブロック注射などもありますが、一時的に痛みなどが緩和されるだけですがそうされますか?」と言われたけど一時的な事ならしょうがないと考えやめました・・
そろそろMRIの検査をして状態の変化を調べますと言われ予約をして帰宅しました・・・

<7月半ば>
MRIの検査結果・・・「脊髄圧迫神経根症状が考えられヘルニアも1月より圧迫されている箇所が広まっているみたいですし、左上肢への放散痛C6領域の感覚障害があり腱反射も亢進の若干あり両下肢感覚障害があるので脊髄圧迫も考えられる為、手術も考えておいて下さい」と説明されました。やっぱり手術なのかな〜(-_-;)
手術となると結構リスクとか高くなるのかな?とか傷跡はどれ位残ってしまうのだろうとかいろいろ考えました。
でも楽楽さんのヘルニア仲間でいろいろ詳しい情報とか経験者の生の声などを参考に自分なりに結論をださなければいけないと思いました。

<8月〜10月上旬>
痛み、痺れは日によって波がありでも1週間に4〜5日は痛み止めの点滴(生食、ノイロトロピン)に通院する毎日。点滴を受ければ多少なりとも痛みが軽減する気がしたのですが一時的な痛みの軽減と分かっていても点滴の為に通院していました。
痛みなどは何と説明すれば分かってもらえるのか難しく鬱になりかけていたのかもしれません。
おまけに私の場合は保険会社とのやり取りも考えなければならなかったので主人にも本当に辛い思いをさせていたと思います。

<11月30日>
K病院に手術の予約を取りに行くが年内は無理でしょうとの事。一応術前検査をして下さいと言われ血液検査、尿検査、XP,EKG(心電図)をしました。結果が出るまで約2時間ほど院内で過ごし結果が出たので診察を受けて下さいと言われ診察室に行くと血液検査の結果でアミラーゼという項目が通常より高いので術前にもう一度今日行った検査をするのでその時点でも高ければもしかしたら手術は延期になるかもしれないと言われました。私は一瞬”何故???”アミラーゼって言えば確か膵臓が悪くなった場合に上がったりするのではと思っていました。
医師から背中の辺りが痛くないですか?と聞かれたがこの頃は痛みが肩甲骨から後頚部痛などいろいろな箇所が痛くてそれに痛み止めも飲んでいるので分からないと説明しました。でも、今まで内臓系は大丈夫で風邪をひく位のものだったので、最悪の場合腫瘍があるのかもと説明されて落ち込みました・・・折角ヘルニアの手術をして今の状態から開放されると思っていたのに膵臓癌かも・・・って考えると・・その日はこれからの事を考えるとどうやって自宅に帰り着いたのか分からなかったですが気が付けば自宅でした。夜に主人に話しをしました。でも癌ならもっと他にも自覚症状とかがありきっと大丈夫だよって言われたけど内心は凄く怖かった・・その日はあまり眠れずただひたすら放心状態で朝を迎えました。

<12月1日>
昨日の検査結果が頭から離れずS病院に行き主治医に説明しました。その日はいつも以上に痛みが酷く気分的に不安な為余計に辛かったです。点滴を受けるので「一応念の為に血液検査もしときましょう」と言われ「結果は点滴中には分かると思いますから点滴が終わったら説明をしますから」と言われ昨日の今日じゃあまり変わらないんと違うのかな?と思っていましたが取り敢えず結果を待ちました。
点滴後「結果が出てますから診察室にどうぞ」と言われ行くと「アミラーゼの数値は少し高いけど昨日よりは下がっていますね」と言われ何故????昨日は220で今日は180でした・・正常値がだいたい150前後という事なので心配していたけど「大丈夫でしょう」との事・・。じゃあ一体なんやったんやろ????「他の項目も全く正常値だったので安心して下さい」とのこと。何か地獄から天国とはこの事だ〜と思い癌なら一日で結果が良くなる事なんて考えられないですよねって話し「手術前に脊髄造影(ミエロ)の検査を受けて下さい」と言われ12月12日に予約を入れて帰宅・・夜主人に説明・・でも何で一時的にでも上がったんやろうね?と話しましたが分からないとしか言えなかった。
それとミエロの予約を取った事も話し段々と手術の準備が出来ているな〜早く手術をして楽になれればいいねと励ましてもらいました。

■ミエロ検査入院

<12月12日>
今日はとうとうミエロ検査・・「予定時間は15時〜なので13時までには入院の手続きを済ませて下さい」とのことだったので朝食後は絶飲食・・でもあまり痛みが酷ければ昼の薬は飲んでもいいですよとの事でした・・。
昼過ぎに病院に到着入院手続きを済ませ病室に・・検査って痛いんだろうか?とか持続点滴のルートはうまく確保出来るかとか考えていました(私の血管はそのころ点滴をずっと受けていた為元々細い血管がよりいっそうに細く結構青アザだらけでした)。
1時間ほどすると看護師さんが病室に来て今までの経過などを話し検査の手順を教えてくれました。
15時・・そろそろ検査だと思っていたら「少し前の方の検査が遅れている為もう少し待って下さい」と言われ「先に点滴をしますね」と言われ私が「出来たら左手にして下さい、右手は血管が出ないとおもいます」と言ったのですが「検査の都合上右手にします」と言われちょっとチクッとしますね・・あれ??中々うまく入らなく「いったん抜きます」との事・・再度挑戦・・ちょっとチクッとしますね・・
あれ??入らない・・(悲)「ちょっと交代しますから待っていて下さいね」・・暫く待っていると「入らなかった」と別の看護師さんが来て再度・・でも入らない・・(泣)一体点滴するのに何回刺されなければいけないの・・・もう痛くて痛くて・・早く入れてと思っていました。
そしたら他の看護師さんが検査の順番が回って来ましたって部屋に来たがまだルート確保されていなかったため検査室に電話を掛けて来ると帰って行ってしまった。5回目でやっと入りいざ検査室へ・・車椅子に乗り到着・・「では始めますね・・横向きに寝て背中を出来るだけ丸めて下さい。」
背中に消毒液を塗られ「ちょっとチクッとするけど腰は引かないでね」との事・・どうか痛くありません様に・・あれ「??痛くない・・
今から造影剤を流しますからね・・ちょっと台が倒れて行きますよ」・・15分程で検査は終了。後は「CTを撮ったら病室に戻りますね」との事。
来る時は車椅子でしたが帰りはベッド・・結構検査時に体の向きなどを変えたりしていた為痺れ、痛みが酷く辛かったけど点滴をされるよりミエロの検査自体は痛みを感じなかった(腰に注射)病室に帰ると「今から6時間はベッド上安静ですから」と言われました。
とにかく喉が渇いていたので検査前に買っておいたお茶をグビグビと飲む・・後は疲れていたのでちょっと寝てしまって、目が覚め時計を見ると20時過ぎ、2時間程寝てしまっていた(-_-;) トイレに行きたくなって看護師さんを呼ぶと始めはベッド上でって言われたけど出来なかったので、主治医の先生に聞いてもらったら車椅子でトイレまでならいいよと許可が出たの連れて行ってもらった。
腰から針を刺している為動くとそこから髄液が漏れたりして頭痛などの症状が出る場合があるので出来るだけ安静にして下さいとの事でした。

<12月13日>
6時・・起床、看護師さんが検温に回って来る・・熱もなく検査の副作用も出なく取り敢えず一安心・・
検査の結果は16日には分かりますと説明を受け退院。考えていた程痛みなどもなく(検査の)良かったと思う。
検査後に副作用で辛い思いをされてる患者さんもおられるのと聞いていたから。

<12月16日>
今日は検査結果・・MRI画像上の診断と同じくC4/5、5/6に頚髄を左前方より圧排していて左の椎間孔の狭小化もあり左第5,6頚神経根起始部の圧排があるとの事でした。その2頚椎間のヘルニアを取り除き自己腸骨の移植で削った箇所を埋める手術をすると説明されました。後はK病院での手術日が決まるまで連絡待ちです。

<12月28日>
K病院より手術日が1月10日入院の1月12日手術の日程が取れましたので1月4日に外来受診してもう一度術前検査をして11月30日のデーターと比べ異常なければこの日程でしますと電話が掛かってきました。
とうとう、手術日が決定した・・前回血液検査で悪かった数値も大丈夫だろうと安心していて後もう少しでこの痛みなどの症状から開放されるとほっと一安心。ヘルニア仲間のみんなに手術決定の報告また、術後の過ごし方などみんなの闘病記を読み返し自分なりに勉強する・・みんなには温かい言葉を掛けてもらい本当に感謝してました。




■2006年手術前検査

<1月4日>
今日は術前検査・・また、時間が掛かるだろうと思い早めに自宅を出る。
前回している為順番に検査に周り、後は結果が出るのを待つのみ・・肺機能の検査がプラスされたが後は同じ項目。
やはり3時間ほど待ってやっと検査の結果が出た・・ドキドキしながら診察室に入ると医師がまたまた「アミラーゼが350まで数値が上がっているのでこのままでは麻酔科の医師から手術延期と言われるかもしれないので、一度消化器科の診察を受けて下さい」との事・・「何故???」またしても不安倍増・・でもK病院ではCTの検査などがすぐに出来ないと思うのでいつもかかっているS病院にCT検査の予約を取ってもらい、明日検査を受ける様になりました。折角12日手術予定がもし延期になると、手術の日程も狂ってくるので、検査後の結果報告は直接K病院に知らせてもらう様に紹介状にも記載していますからとの事でした。
一体、私の膵臓では何がおこってるの?何もなければ数値が上がる訳がないからやっぱり腫瘍かなにかあるの??
ヘルニアという病気になり辛い1年間を過ごしやっとその辛さから開放されると思っていたのにやっぱり”癌”と再び不安が・・
自宅に帰り明日の検査に備え一人不安と戦っていました。ショックからかいつもにも増して痛みが酷く薬も効かずただひたすら痛みと格闘していました。

<1月5日>
昨日はあまり寝れずボッとしながら病院へ行きました。受付で紹介状を渡すとすぐに消火器の医師の診察にまわされ
医師からは「今日はCTの検査といううことでしたが、手術もひかえているので造影剤を入れながらの検査になります」と説明され承諾書にサインをして下さいと言われました。検査後の副作用など説明を受け処置室にて持続点滴をし、いざ検査室に。
今から造影剤を流しますが気分が悪くなったりしたら直ぐに知らせて下さいとの事・・突然体中が熱くなり
自分で今、造影剤が体中を流れているのが分かる程でした。暫くすると「終了しました」と声をかけられ車椅子にて処置室に移動して点滴をはずし後は水分を多めに摂って体の中の造影剤が残らない様にして下さいねと看護師さんに説明され、検査の結果が出るまで処置室で休んでいました。1時間位で結果が分かったので説明しますから外来に来て下さいと言われ外来に移動・・医師からは「腫瘍などは見あたらく膵臓の入り口近くと中ほどに炎症があり診断としては慢性膵炎です」と説明されました。「現在は数値が350と出ていますが今の状態だと手術には影響がないと思われる為、今日の結果を手術をするK病院に知らせておきますと。」説明を受けました。でも、手術後は定期的に診察を受けて下さいと言われ今度こそ手術が受けれるとホッとし自宅に帰りました。でも、慢性膵炎とはびっくりでした。そんな事はないでしょうがストレスなど原因があるのでは一人考えてしましました。

<1月6日>
痛み、痺れは相変わらずで今年は例年になく寒く九州地方でも雪が降りヘルニアのみんなもさぞ辛いんだろうなと考え、今日も点滴を受けに病院に通院・・最近は本当に痛み止めが効いていなく、おまけに痺れも酷くほとんど寝込んでいます。
病院から自宅に帰ると手術を受ける病院から「12日の手術の日程を少し遅らせて下さい」と電話があり理由は、今入院されている患者さんで状態が悪く、12日に手術を受けたいとの事。私が執刀してもらう先生が丁度その患者さんの主治医でもあり、一日に手術をする人数が限られている為。との説明でした。私の日程は16日入院、17日手術に変更になりました。
しょうがないですよね・・今の私は手術まで1年近くかかって今更1週間程予定が遅くなってもいいと考え、それまでは今まで通り少しでも安静にして無事手術日を待っている事になりました。

■1月17日手術

<1月16日>
とうとう、手術日を迎え入院の為病院へ・・主人は明日の手術日に休むと言う事で今日は一人で病院まで行く事になりました。
10時までには入院の手続きを済ませる様に説明を受けていたので、取り敢えず今日使用する物だけを持ち、出掛けました。
病棟に上がるとまず、身長、体重を測り病室に案内されました。
病室は6人部屋・・ベッドは入り口側でした。取り敢えずパジャマに着替えベッドに休み待っていると、看護師さんが来て、体温、血圧などを測り、今までの経過などを話しました。その後明日の手術の説明に。
麻酔科の医師、手術室の看護師、主治医の先生が来られるのでなるべく病室に居て下さいとの事。
暫くすると、装具屋さんが病室に来て、「こちらの病院では手術の前日までには装具を準備しておかないといけないので、首の長さなどを測って夕方までには作って持って来ます」と言われ、一応の見積書として¥35000円程かかりますと言われました。
でも、「事故の方なので直接相手保険会社に見積書、請求書、領収書、医証(術後に装具の装着の使用を認める証明)を提出すれば全額戻ってきます」との事でしたが取り敢えず今日、明日中には¥35000円を用意して下さいと言われたので病院の1階まで行き、銀行から下ろし準備しました。でも予定外の出費だったのでびっくりしました。
それから昼食の時間になりました。メニューは何故かぶどうパンにサラダと朝食の様なメニューでした(-_-;)
昼食後はテレビを見ながら病室で過ごしていました。夕方に麻酔科の医師(女医)が明日の手術に対しての麻酔の説明に来られました。
明日の手術は朝一番の開始なので8時には手術室入ってもらうとの事でした。「今まで麻酔薬にてアレルギーなどおこした事はないですか?」とか聞かれ、手術自体が初めてです。と答え「何か不安に思っていることとか疑問はありますか?」と聞かれました。詳しく説明してもらったので、ありませんと答え”明日の手術は頑張りましょうね”と言い、麻酔に対しての説明を受けたという同意書にサインをしてまずは一安心。
暫くすると手術室の看護師さんが来て、「私が明日手術室に入る担当看護師です」と紹介され、麻酔科の医師と同じような内容の説明を受けました。
最後に主治医の先生が来て、”明日はS病院の主治医の先生も手術に立ち会う為に来られますよ”と聞きちょっとびっくり・・以前からもし、手術に立ち会ってもらえるならお願いします。と言っていたので本当に来てもらえるなんてと嬉しくなり安心もしました。
「術式は以前から話している様に、前方固定(C4/5、5/6)の自己腸骨移植です。前方より削っていきそこに腸骨の移植をして、移植後の腸骨の所にはプレートをはめ込む術式で手術自体は1時間30分位を予定しています」との事でした。
説明も終わりとうとう手術なんだと思うとなかなか眠れそうにないかな?と考えていると装具屋さんが出来上がった装具と、術後は枕は使えないのでと、小さなドーナツ型の枕を持ってこられました。何か慌しい一日が終わったって感じでした。
夕食後看護師さんが眠前に下剤を飲んで下さいと言われ手渡され「明日は7時20分頃にはストレッチャーにのって搬送準備、術前処置などをします」と説明を受け長い一日が終わりました。

<手術当日>
6時過ぎ検温などを測り今から浣腸をしますからと言われトイレに・・元々便秘症なので結構苦労しました。
7時・・主人が病院に来てくれました。自宅からは40分程かかってしまうのでいつもと同じ時間に起きてかけつけてくれたみたいです。
7時20分・・看護師さんがストレッチャーを準備して来ました。パジャマから病衣に着替え下着は紙パンツに履き替え移動・・
今から麻酔の効きを良くする注射を肩にしますと言われました。暫くすると何かボーっとして来て7時50分搬送・・。
手術室ってどんな感じなんやろなどいろいろ思い浮かべていたのですが、肩にした注射のせいか?その後の事はあまり記憶になく、遠くで”ベッドを移りますね”って声が聞こえた時には手術も終了し、一日は観察室にて過ごすという説明を主人にされた様でした。
私の体には、鼻に酸素チューブ、首にはカラーにドレーン、腰の腸骨の所からもドレーン、後バルーンの状態で帰って来たらしいです。
その日はずっとぼっとしていて、執刀された先生が来て「水分だけなら飲んでもいいですよ」と言われたので、看護師さんに少し飲ませてもらったけど、喉が痛かったから上手く飲み込めなかったです。

<手術翌日>
今は何時頃なんだろう?昨日は術後から殆んど眠っていたらしく、麻酔が中々覚めなくて、病棟に帰って来たのも昼過ぎだったと看護師さんから聞き、今日は観察室から9時頃に自分の部屋に戻ると言う事でした。
朝食が運ばれて来て、術後はしっかり栄養を摂って早く元気になって下さい。との事ですが全く食欲も無く喉が痛いし、腸骨の傷口もズキズキ痛かった。でもあれほど苦しんでいた首、肩甲骨、上腕の痛みは無く、両下肢の痺れは若干残っていました。
暫くすると病室に移動しますと言われ、ベッドのまま移動しました。血腫防止用にはいてる白いタイツの中が痒かったです。
回診の時間という事で医師が来られ、「首と腸骨の所のガーゼを外し、消毒して首のドレーンは抜きます。」と言われチクッとしたが後は、テープの様な物をペタッと貼って終了・・「傷口は綺麗ですよ」と言われました。でも、手術前は首の傷口がもっと痛いんだろうと考えていたが、本当に全く痛みは無かった。抗生剤の点滴を朝夕としているが、持続点滴のままで針は抜かなかったから痛みは無かった。
昼過ぎ・・看護師さんが体を拭いてくれた。パジャマは自分で歩行出来るまでは病衣を着用してして下さいと言われ、T字帯をつけ昨日と同じく病衣は体の上に置いている状態でした。

<手術2日目>
相変わらず喉は痛く痰がからんでいて気持ち悪かったです。腸骨の痛みもズキズキしていた。痺れが残っているが、頚部の痛みは無かったです。今日の夕方で抗生剤の点滴が終了するので点滴も外しますからと言われ後は、腰のドレーンとバルーンのみ。少しずつ体から管が外されていく・・・

<手術3日目>
今日はベッドの頭上を30度ほど上げてもらえた
3日も寝たきりだと腰からお尻にかけて床ずれになってしまうんでは無いか・・と思う位痛く、体を少し動かそうとするが、腸骨の所が痛く断念・・喉もまだ痛みは無くならず水分を摂るのもちょっと苦労する。食事はベッド上でオーバーテーブルをつけてもらい
ベッドの柵に鏡を取り付けてもらい、その鏡の位置を自分で調節しながら、手元を映しながら食べるが安静のままなので食欲は無かった

<手術4日目>
喉が痛い・・腸骨も痛い・・今日はベッド上に座ることが出来た。昼過ぎに主人が来た。ベッドに座っていたのでちょっとビックリしていた・・明日には歩行許可が出るやろうから気分はちょっとウキウキでした。

<手術5日目>
やっと体中の管が抜けて、体も綺麗に拭いてもらい自分のパジャマに着替え、看護師さんと一緒に歩行する。ゆっくりだが何とか歩けた。・・でも腸骨にはひびいた・・主人が昼過ぎに来てくれた。今日は歩行許可も出ているので、車椅子で屋上まで連れて行ってもらった・・気持ち良かった。術後の傷口も順調に回復している24日にレントゲンを撮って異常なければS病院に転院・・K病院では手術のみの予定だったから。
少し喉の痛みはましかな?少しだけど食欲も出て食べれる様になった・・頚部の痛みは無いが痺れはやはり残っている。でも手術前に比べるとマシですけど・・

<手術6日目>
今日は大学病院では当たり前の「教授回診日」ゾロゾロと研修医などを引き連れ回って来た。整形でも脊髄専門、股関節専門、骨腫専門などがあり、それぞれの専門の教授が回診に来られた。私の所にも主治医が来られて、「経過は順調ですから明日のレントゲンの結果で転院されます」って教授に説明していた。一言”良かったですね”と言われ帰って行った・・教授回診なのだから少しは患者の状態などもう少し診てくれてもいいのに・・と思った。食欲もでてきて喉の痛みも軽減されてきた。昼からリハビリに行って下さいと言われ、普通なら5分位でリハビリ室まで行けるのだが、歩くと腸骨にひびく為15分くらいかかってしまった。リハビリ室では座ったままで足を温め、両足首におもりをつけ、筋力トレーニングのようなリハビリをした。ちょっと疲れたかな?

<手術一週間>
喉の痛みは随分マシになりました。腸骨はまだ咳などをするとひびく感じがします。頚部の痛みは嘘の様に無くなり痺れは残っています。
朝から血液検査とレントゲンを撮りました。でも入院後何回採血ををされた事やらって感じです・・
レントゲンの結果順調に骨もくっついて傷口も綺麗になっている様です。明日は転院できるそうです。痺れに関しては残るかもしれないと言う事でした。・・でも術前にも痺れに関しては説明を受けていたのでとにかく、あの痛みから解放されて本当に良かったです。

■転院

<転院日>
主治医から転院後の説明を受け、「抜糸はこちらの病院では前方固定術の場合10日後位にする」と言う事で、私の場合は「転院後にS病院で抜糸をしてもらって下さい」との事でした。後、リハビリといっても特別する事が無いと思うのでとにかくカラーを装着して、首などを極端に反らさないようにと注意を受けました。退院の手続きも済み、後は迎えに来てもらうのを待っていました。
同室の仲良くなった患者さんも明日は転院するみたいで、「お互いに無理はしないで頑張りましょうね」と話しました。
直接S病院に到着・・こちらで後2週間は様子を見ると言う事になり病室に案内されました。あいにく大部屋がいっぱいと言う事で、2人部屋に入院となりましたが、私一人だったので個室みたいなもんでした。・・さっそくリハビリ室に行く様に言われ術前にリハビリをしていた時に担当していた先生が引き続き私の担当で、「手術したんだね」「痛みは軽減されているみたいで良かったですね」って話をして、「こちらでもカラーを装着している間はリハビリも特別する事がないけど腸骨の痛みが軽減したら、階段の昇り降りをしたり出来るので、それまでは足の筋力をつけるトレーニングをしましょう」と言う事でした。

<術後10日>
今日は抜糸をしました。私の場合、ホッチキスの様に止めている箇所を外していきました・・頚部が9箇所、腸骨部が11箇所でした。
やっと抜糸も終わりシャワーの許可が出たのでカラーはつけたままですがシャワーを浴び看護師さんに洗髪もしてもらえ体もスッキリしました。
ずっと清拭ばかりだったので気持ち良かった・・洗髪も中々泡立たず苦労されていましたよ・・(>.<)

<術後25目>
順調に回復しとうとう退院日・・カラーを装着している以外はあれほど苦しんでいた痛みなどから解放され何回も言いますが、もっと早くに手術していれば良かったと思いました・・事故後のあの1年間は一体なんだったの??と考える程です。
退院後はカラーを外す日まで1週間ごとにレントゲンを撮って様子を見ますと説明を受け、無事退院です♪
みなさんも手術に対する不安などいろいろあるでしょうが、保存的治療で様子を観察されている方、また、私の様に手術をして良かったと思われている方などいっぱい悩み苦しんでおられる事でしょうが、あくまでも参考にしてじっくりあせらず治療をして下さいね。


追突事故が原因で、吐き気・嘔吐、頚椎から肩甲骨の痛み、左上腕にかけての痛み。転院先の病院でMRIで頚椎椎間板ヘルニアと診断されました。症状が改善されることなく手術(前方固定術)をされました。
キティさんの体験を、「みんなのヘルニア闘病記」でご紹介いたしました。       管理者:楽楽





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