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腰椎椎間板ヘルニア 保存的治療 |
★ あんずの病歴 ヒトリゴト回想 ★ | ||
★17歳より【椎間板ヘルニア】 |
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わたくしあんずは 17歳で腰椎椎間板ヘルニア の診断を受けました。当事は若かった(爆) その為大した治療もせず自ら悪化させてしまった大バカものです?(^◇^;) あんずの場合は 生まれつきの骨格遺伝 でした。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】自覚症状の始まり@17歳 |
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当事、大好きな某ケーキ屋さんで働いていました。バイトが大好きで高校の単位が足らず留年…(爆) 結局高校生活も1年と言う短い期間で終わりその後友達が学校に通う中あんは働いていました。 (決してヤンキーっ娘ではありませんよ…多分…笑) 女性にとって冷える職場は大敵でした。でもあの頃は若かったしね(笑) 毎日頑張って働いて働いて・・なんて勤労少女だったんでしょ(爆)仕事が楽しくて仕方なかった毎日… そんな中、「???」と思う自覚症状に気づきました。 朝起きると腰は激痛でベットから起き上がれない…仕事中妙に足が痺れて痛い… そんな話を職場で話した時に「若いのに腰が痛いなんて…どうせ彼氏とやり過ぎだろ」なぁ〜んて職場で冷やかされてました(笑) 何しろオバちゃんってのは下ネタ好きなもんで?(^◇^;)店の中でも最年少だったあんずはよく遊ばれてました(笑) ところがだんだん冗談なんか言ってられなくなる事件が!!・・・目覚めると激痛過ぎて泣きたくても声も出ない… 家族を呼びたくても動けない…当事は携帯なんかもない…職場に連絡しなくては遅刻してしまう… とっても激痛な中冷静に遅刻しちゃうと焦ってたあたし(笑)、結局30分ほど遅刻して出勤したけど。 店長に言われて市内の整形外科で受診することになった。あの頃はMRIの設備のない病院が多く市内の総合病院ではまだ設置がなかった。仕方なく唯一MRIを完備しているという市内の外れ…車で30分チョイかなぁ…?の病院で受診することにしました。 今は検査結果など出るまでに日数かかったりするけど当事はMRIの予約待ちもなかったし、結果もその場で出た。 あんが初めて聞いた病名でチンプンカンプン(笑)。ゆっくり横になって安静にするようにいわれたけど、そんなの17歳の小娘が言う事聞くわけもなく…痛み止めを処方してもらい飲み薬だけで元気に働いた。今思えばあの時ちゃんと治療しなかったのがいけなかったんだろうなぁ…と大反省でした。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】19歳 妊娠 |
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当事付き合って居た彼氏の子を妊娠した。季節はクリスマス戦争突入の12月… 店がケーキ屋なので仕事は大忙しで休みもない。痛み止めですっかり良くなって椎間板なんて病気の事は全く頭になくてただ生理が来ない事で一緒に働いて居た友達に相談し薬局で妊娠検査薬を購入。 職場休憩室のお手洗いで早速使ってみたが陰性…「ほっ」とした瞬間だった。 まだ結婚なんて考えられないしまして自分が子供なのに赤ちゃんだなんてねぇ(笑) ところが…一回目の検査から1週間経っても生理がない…恐る恐る自宅のお風呂で入浴中にもう一度残りの検査薬で調べて見ることにした…。 陰性だったはずの検査結果が…真っ赤な「陽性」反応…?( ̄Д ̄|| 急に鼓動が早くなり入浴もままならないまま急いでシャワーを浴びて出た記憶がある…。 まずは産婦人科へ行こう…その事で頭がいっぱいだった。無論この時は椎間板ヘルニアの事など覚えていなかった。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】産婦人科 出産への決意 |
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勇気を出して彼氏と一緒に市内では評判の高い産婦人科へ。待合室ではお腹の大きな妊婦さんが沢山居る… ドキドキしながら診察の順番を待つ…結果は無論、おめでただった。 しかも先生が笑顔での告知…?( ̄Д ̄||| 診察を終え、結果を彼氏に話すとこちらも笑顔…(涙) 先生には病歴などを聞かれたが椎間板の名前など覚えていなかった為そのまま受診終了となり次回の診察予約だけが入った。 せっかく宿った小さな命…自分の都合で頑張って芽生えた小さな命を切り捨てる事は出来ない…。 彼氏とも相談して出産を決意。楽しい妊婦ライフを送り出産当日を待った。 7月も下旬に入り予定日も近く、定期健診で軽い陣痛があると言われそのまま出産入院となる。 陣痛が強くならず陣痛促進剤を使うがその日はダメだった。その後も数回同じ事を繰り返した。 8月に入りいよいよ予定日も本当に間近。夜中に破水して産婦人科へ向かう。立会い分娩だった為、旦那も仕事を休み傍に居てくれた。でも陣痛は一向に強くならず、破水しているため以前のような中断も出来ず、ただただ長い痛みと闘った。自力では力も入らず何より腰に全くの力が入らない…左足も痺れまるで正座したかのよう…。 すでに母子共に危険な時間となり帝王切開の準備に入る看護婦さん達…。 結果、通常分娩で無事終了したが…産後は生死を彷徨い面会謝絶…昏睡状態が続く…そして…産後 恐ろしい椎間板ヘルニアとの戦いとなる。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】椎間板ヘルニアの存在 |
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娘を無事出産し、大変ながらにも育児スタート。 日々睡眠もままならない中、久々の激痛を腰に感じる。 遠い記憶の中で、「確か腰がどうとかって言ってたよなぁ…?」そんな事を思い出し、市内の総合病院へ向かった。 その頃にはMRIも設置された病院が増えていた。散々待たされた後懐かしいMRIに入る。 検査結果が後日だと言うので帰宅するが、左足に感覚がなくなり寝たきりの生活が数日過ぎた…。 周囲の母や旦那、妹達はそんなあんを「怠け病」だと非難した。本当に動けない…この痛みを誰も分かってくれない… それでも容赦なく横で泣きまくる娘…。抱いてやりたくても起き上がれない… 怠け病だと言われての意地もある…でも 結局 あまりの痛さに負けてしまっていた。 検査結果当日、一人で痛い腰と感覚のない左足をひきづりバスを乗り継いで病院へ向かう。 診断結果は懐かしい名前の「椎間板ヘルニア」だった。医者は MRIの画像を見ながら 「良くこんな状態で出産出来ましたね」と…。え? 何? この病気だと出産出来ないの? もう頭の中はパニック…結局、そのまま入院を強いられる。 刺激された神経が出産の陣痛を弱くし出産で力も入らず、下手したら母子共に危険であったと、酷いお叱りを受けた…。 確かに苦しいながらにも弱い微弱陣痛だけの時間が長く、体力もゼロに等しかったなぁ… 「あなたのお子さんは奇跡だと思って下さい。今後は出産は望めませんよ。望むのであればしっかり治療に専念して下さいね。」と… 入院の目的はただの安静…殆ど 一日中 ベットに寝てるだけの治療… これなら自宅でも十分じゃんなんて思う中、家に残してきた小さな娘が心配で眠れない日も多かった…。 唯一の治療が神経ブロック注射だった。皮筋肉を突き破り直に注入するブロック注射は悲鳴を上げる痛さだった。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】 車椅子になる |
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安静にしてても一向に良くならない左足の痺れ…主治医の指示の元、背骨にバリウムを注入してMRIより詳しく神経を見るなんとか検査を行った。 恐らく神経ブロックの注射と同じような痛みだったかな?(^◇^;) 激痛を耐え検査を終え結果を待つ。 ヘルニア そのものは小さいけれど、物凄い神経の圧迫が判明。 それから数日後、ついに左足を引きずる事さえ出来なくなり、車椅子の生活になる。 毎朝、回診で主治医が回ってくる。足を動かすように言われるけど全く動かない… 診察時間に診察室へ来るように言われ、看護婦さんの指示に従い車椅子で診察室へ向かった。 左足、太ももに注射器をさされた。痛みも感じない…先生に触られても気づかない。全くの感覚を失っていた。 数日後、牽引をした。両足にオモリを付け、背骨を強制的に伸ばし、ヘルニア部分を正常な位置に戻そうってな感じなのかな? 「痛かったら言って下さいね」と笑顔で優しい看護婦さん(^^ゞ 痛いに決まってんでしょ…?( ̄Д ̄||| しかし、牽引開始直後、今までとは違った激痛が走る。泣き叫ぶあんを見て主治医を慌てて呼びに行く看護婦さん。 その前にこのオモリ外してってよっ! 主治医が血相を変えて飛んで来た。急いで牽引を終え、なんかの点滴を入れられ、多分、眠剤みたいなものだったのかな…そのまま眠った。 |
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★自分に合う治療法 椎間板への宿命 |
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結局、牽引後お手洗いにも行けなくなる。車椅子までも乗る事が出来ない。 一々ナースコールをし、看護婦さんに手伝ってもらう事になる。 再びMRI検査にブロック注射が続く。 初めの数回は効いていたようなブロックもだんだん効果を感じなくなっていた。 主治医も違う型のブロックがあると言い数種類を試し始めたのもこの頃だった。 MRIの結果、牽引で多少は引っ込んだであろうヘルニアも逆に大きく飛び出し、神経への圧迫が強まっている事が分かった。 あの日の数分のみで牽引は二度としなかった。 医者いわく、どんな治療も同じだけど牽引は特に個人差が大きい治療法だと言う。 まれに悪化する場合も否定は出来なかったが、試してみる価値は十分にあったと言った。 その後、牽引治療の道が断たれ…超音波治療や電気治療、温シップ治療など色々な治療を試す事になる。 大抵の患者さんは職業柄や趣味などでこの病気を発症するらしいが、あんの場合は 先天性 による骨格に問題があった。 早い話、遅かれ早かれ避けられない病気だったらしい。背骨が普通の人より湾曲で腰にかかる負担がとっても大きいらしい…。 頚椎には骨が一本足らない。 胸椎は少し潰れていて、交通事故などに遭うと下手すればそのまま骨は肺にささり即死の可能性も高いとか… そんな訳で椎間板は持って生まれたような…宿命的にも向き合わなければいけない病気だった。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】筋電図検査 |
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出産から幾度となく入退院を繰り返し、良くならないまま時は流れ、あんも23歳になっていた。 色々あって、この頃は旦那とも離婚していた。 再び入院生活へと戻る。この頃には入院後、即、車椅子になる。食事も起き上がれない為、看護婦さんが付き添ってくれた。 夜中には痛みで悲鳴をあげ、ナースコールを何度押したか・・自分でも覚えていない…。 この入院では3歳になったばかりの娘を置いて8ヶ月の長期入院となる。 相変わらず定期的なブロックが続いた。痛みの緩和と激痛の繰り返しで車椅子生活も仕方ないと思っていた。 半ばやる気をなくし、治療への前向きさも失っていた。 処方された鎮痛剤を飲んでもその場しのぎでしかない… 夜中は眠れなくなり、眠剤の処方を受ける。始めは軽い安定剤程度だったがすぐに眠れなくなり 本格的な眠剤(デパスやらハルシオンやら)になる。麻薬と同じようなもので目覚めは意識朦朧… 薬なしでは眠れなくなっていった。その場しのぎでしかない鎮痛剤も,.飲まなくなり、完全に前向きさを失っていった… 絶望の ドン底 に居た…。 たまに見舞いに来てくれる家族も仕事をしながら幼い娘の面倒があり疲れていたのだろう… 早く退院しろと来るたびに愚痴った。それさえも耳に入らず苦痛な毎日だった。 ![]() ある日気が付くとブヨブヨを増している自分の左足…。 入院から半年が経過した頃だった。主治医が「筋電図検査をしよう」と言う。 何でも筋肉の状態を調べるとかどうとかって??? 午後検査になり、足に無数の針をさされたが、痛みを感じる事もなく、呆気なく検査は終わった。 検査の結果では長い間車椅子だった為、筋肉が極限まで落ち、このままでは一生歩けなくなると…。 人間の細胞は復活するものもあるが、限度を超えると筋肉は破壊され動かせなくなると言う。 「今なら まだ間に合う…リハビリをしよう」!そして過酷なリハビリが始まった。 毎日、午前 午後 1回づつリハビリ室へ向かう。 この時、一緒に超音波治療なども済ませるのが日課になっていた。 泣き叫ぶ周囲の患者さんを横目に軽い運動から始まった。 まずは横になり、両足で大きなゴムボールを挟み、左右に動かすと言うなんとも簡単なモノだった。 ところが…動かしているのは右足であり、肝心の左足はその動きについているだけ…?( ̄Д ̄||| リハビリの先生もはじめは許してくれたが、それではリハビリになっていない訳で…次第に厳しくなっていった。 数日の間で何とか左足を使って左右に動かせるまでになる。 そして今度はそのボールを上に持ち上げてみろと、無理難題を提案される。 やっとの思いで左右に動かしているのに、両足で挟んだまま上に持ち上げられる訳がない!! この頃から激痛を伴う憂鬱なリハビリとなる。周囲の患者さん同様、悲鳴をあげながらのリハビリになる。 何とか上まで、そうだなぁ…床から数Cmだったのかな(爆) 持ち上げると腰に半端ない激痛が襲う。 泣き叫ぶあんを無視して先生の怒った声が響く。 「一生歩けなくなっていいのか!! 気合で持ち上げてみろ!!」 何とかリハビリも順調に進み、良くダイエット商品であるような自宅の中で簡単にサイクリング〜♪みたいなマシンでの運動や手すりに捕まりながらの歩行練習へと段階を進めていった。 長いリハビリ…過酷なリハビリを終え、退院の日へと繋がった。 |
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★17歳より【椎間板ヘルニア】最後に… |
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現在 まだ20代であります(一応ね・笑) 腰椎椎間板ヘルニアによって、痛み、痺れの症状は容赦なく襲ってきます… 秋口になると左足の痺れを感じ、腰に激痛を感じる数年… 治療の甲斐あって今は元気に歩いている。でも…当事あれだけ頑張った椎間板部位は完全に潰れ切ってしまい、今では背骨と背骨が直にぶつかり、こすれ、日々の生活の中で少しづつ骨が削られていく…。 それは背骨の最下位部分…お尻の真上だ。最も負荷のかかる部位で、骨が削れていくのをただこうして待つだけになっている…。 手術も何度も考えた。でも、あんの場合は手術は医者が納得しない。 何故なら、体質の関係でアルコール消毒も麻酔もあまり使えない… 婦人科系の病気もあり、このまま温存が望ましいと…。 今は潰れたヘルニア部分の1つ上の背骨間が突起し、新たな椎間板ヘルニアとなっている…。 日々の生活の中で不安な事も逃げたくなることも沢山あるけど、この先長く付き合う病気だから少しでも前向きに闘って生きたいと思う。 椎間板ヘルニアのみならず色々な病気と闘ってるみなさん。 一緒に乗り越えていきましょうね☆ |
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![]() ヘルニアの発症が17歳という若さと、先天的な骨格、腰椎椎間板ヘルニアで 妊娠・出産された体験を、「みんなのヘルニア闘病記」でご紹介しました。 ★写真はあんずさんのペット、わんこのモカちゃんとうさこのシナモンちゃん 管理者:楽楽 |
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